かーぎの日記

どこかのWebデザイナーの気ままなブログ

アニメ「美女と野獣」を大人になってからもう一回観た感想

ディズニーランドに「美女と野獣」のアトラクションが新しくできましたね。
カップがくるくると優雅に踊って回る楽しいアトラクション。遠心力感じる動きがツボです!

3回ほど乗りに行ったのですが、実はその度、冒頭のストーリー部分に少しモヤモヤしていました。

一晩泊めてくれと頼んだ老婆、みすぼらしい姿バカにして断る王子。
「見かけに騙されて人の心の美しさを見逃してはいけない」と言った老婆はみるみる美しい魔女に変わり、王子はそれをみて慌てて謝った。


→ このやり取りの中で老婆の心の美しさ要素、別になかったよね…?

→ もしも老婆が美しい魔女の姿に変わらなかったら、
老婆「見かけに騙されて人の心の美しさを見逃してはいけない」
王子「はいはいうるさいな、いいからはやく帰れ!」
みたいな展開になり、醜い老婆には謝らなかったのでは……
美しいから聞き入れて謝った感じがして、それって結局ルッキズm…

と、どうしても考えてしまい!!
ディズニーランドのせっかくのアトラクションを純粋に楽しめないーー!!


……ということで、数十年ぶりにアニメ「美女と野獣」をもう一度見てみることにしました。
以下、ネタバレしかありません。


ベル、「姿を変えられた王子」が元から好きだった

ボンジョール!でおなじみ、「朝の風景」のミュージカルパートで、ベルが本屋に行くシーンがあります。
ベルは本を選びながら、本屋の店主にこう言いました。

好きなの。騎士の決闘や、姿を変えられた王子って。


じゃあ、父を助けに行って野獣と初めて出会った時、
性癖ブッ刺さって一目惚れした可能性があるってこと!?!?!!?

すみません…
父を怖い目に合わせた野獣なので、一目惚れはしてないと思いますが、
最初から好きになる可能性を秘めていたというのはかなりでかいですよね!!
ベルは姿を変えられた人外という概念を知っている女だ…!

このセリフひとつだけで今後の見え方が全然変わりました。


後半に入ると「帰る!」と城を飛び出したベルが野生の獣に襲われ、野獣がそれを助けるシーンがあります。
それをきっかけに「命を救ってくれてありがとう…」と距離が縮まる2人。
見返すまでは、城に閉じ込めた相手に恋をするなんて、誘拐犯に被害者が好意を抱いてしまうストックホルム症候群的なことがチラついてしまっていました。
でもベルが、「姿を変えられた王子の話って素敵よね」と言っているなら、状況だけが2人の間を縮めたわけではないことがわかって、それがなんかよかったです。

もし同じ状況に陥っても、空想好きで冒険心のあるベルではない、別の誰かだったらこうはならなかったかも
ベルだから、野獣だから距離が縮まったって、それってロマンチックですよね。


ガストンが城に攻め込んだのは嫉妬からか〜

そういえばガストンってなんで野獣の城に攻め込んだんだっけ?と思ったら、

ベル父「ベルが大変なんだ!悪い野獣が!誰か助けて!」
ガストン「何言ってんだこいつ。野獣なんかいるわけないだろ」

ガストン「お前の父親頭おかしい。結婚しないなら入院させるぞ」
帰宅したベル「いえ!野獣はいるわ!それに…優しいのよ」
ガストン「なんか野獣に特別な感情抱いてないか!?なんでだよ!野獣殺す!」

という…(だいぶまとめましたが)
嫉妬ですね!これは!

見た目で判断して、「野獣なんかに好意を持つのはおかしい」という、本作全体テーマのルッキズムへの批判を示す目的のキャラクター性ももちろんありつつ…
嫉妬ですよね!!好きなんだね

ベル(美しい女)をトロフィーのように扱う男への批判的描写でもあると思いつつ、
嫉妬だなぁ


人は人のために優しく変わることができる

ガストン(:プライド高い、自信過剰、押し付けがましい、身勝手、卑劣、思い込み激しい、見た目で判断)といい、
野獣(:見た目で判断、自信なし卑屈、プライド高、失敗に弱い、甘やかされ)といい、
とんでもねーめんどくさキャラの男性ばかりで、胃もたれしそうなとこですが…

このダメダメな2人のうち野獣は、ベルとの出会いにより徐々に変化していきます。
冒頭で、本を読むベルから本を取り上げて投げ捨て、

「本を読み賢くなると、女は不幸になる」

と超前時代的なセリフを言うガストンとの対比として、
野獣が本棚だらけの部屋を案内して、感動するベルに「全部あげよう」と言う野獣はなんだか一生懸命で健気ですよね。

結婚しろとか、晩餐に来いとか、「それがお前にとっても幸せだろ」などと自分がやりたいことを無理やり押し付けるのではなく、
相手がしたいこと、相手が求めるものを与えることができるようになりました。

どんな見た目でも、きっかけさえあれば、人は変われる。優しくなれる。
主題歌「美女と野獣」でポット夫人が歌う日本語吹き替え歌詞が、この物語のメッセージを詩的に表現しています。

やさしさが開いてく 愛のとびら

この歌のあと、あんなに良い雰囲気なのに、「父が心配」と語るベルに「帰っていい」と野獣は言います。
自分のためには絶対逃しちゃいけない相手のはずなのに、
今やベルの気持ちの方が大切になったって、すごく大きな成長ですね。

そんな野獣の変化、野獣の優しさに気付いたベルは本当に惹かれていくようになりました。
そしてエンディングへ……


まとめ

思ったよりも成長の物語がきちんとあり、久しぶりに見ても感動しました。
キャラクターも、適度にご主人さまの言うことを無視して、おもてなししまくってしまう使用人たちが大変可愛らしい。
どの歌も口ずさみたくなる名曲で、映像もシャンデリアが印象的なダイナミックさ。ディズニーアニメってすごいなぁ…。


ところで最初に紹介した、

老婆「見かけに騙されて人の心の美しさを見逃してはいけない」

というセリフのせいで、一見、「見かけは良いけど心が美しくないガストンと、見かけは悪いけど心は美しい野獣の物語」かな??と捉えてしまいそうなのですが、

私は、野獣は偶然、ベルと仲を深めるきっかけに恵まれ、変わることができただけかなと思いました。
どっちもダメダメな男だけど、思いやりや愛情があれば、人は自分のダメなところを変えられることができる!

人は心を美しくすることができる
だから見かけに囚われず、人の心の美しさを追及しよう

これはそういう希望の物語だったのかなと、大人になってみて「美女と野獣」を解釈しました。
そして、野獣がベルとの出会いという奇跡のようなきっかけを活かすことができたのは、ベルの声に耳を傾けようとした野獣の努力と、執事たちの献身的なサポートのおかげだと思います。

人を見かけだけで判断してはいけないし、
自分の可能性も見かけで閉じ込めてはいけない

見かけという浅い部分だけで判断せずに、心を見つめようという教訓の物語。

老婆あの言い回しは今でもしっくり来ませんが、まぁ原作→ディズニーアニメになる過程でニュアンスの違った描写になってしまったのかな〜と思うことにします。機会があれば原作読んでみたいです。


アニメを見返したおかげで、またディズニーランドでアトラクションに乗ることがあれば、
理解度が深まった今、以前よりずっと楽しく過ごせる気がします。

おわり