デザイナーに好まれるデザインっていうのが実はよくわからない。
広告クリエイターとして働いていた母がよく、「同期のクリエイターはTCCなりADCなり、クリエイターのコンペで賞を取ることを目標に広告を作っている」と吐いていた。「私はそんな同期とは違ったの。賞とるかとらないかなんて、求人広告に関係ない。大手の会社広告は派手でイケてるやつを作りやすいから、人気だったけど、私はあえて、全っ然人気無い田舎の小会社を積極的に引き受けてた。人気が無いから、広告の力で人を呼ぶ。それがクリエイターの使命だと思ったの。」
(ちょっと誇張してるけど)こんな話を何回もされるものだから、大衆に見られる作品で有名人になること、賞を取ることへの価値よりも、「みんなが目を向けないニッチな部分を、デザインで救う」っていう構図に価値を感じていたんだ。
デザイナーに好まれると少し、嘘っぽさを感じてしまう。
一方で、ダサくても・新規性がなくても・未来志向でなくても、一般の人にウケたのならそれでいいじゃん、っていうのには逃げを感じてしまう。
結局私は何がしたいんだ。どんなデザインがしたいんだ。
それに本気で向き合うのが少し怖くて、今日もうやむやデザインを続けてる。
(2019/04/16)