かーぎの日記

どこかのWebデザイナーの気ままなブログ

メジャーじゃないバンドの良さに気づいた話

この間久々にライブに行った。

友達がロゴのデザインを担当したというバンドと、他2組による、コラボライブ企画だった。

 

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場所は渋谷。

満員電車のような街だと思った。人がとにかく多くて。

やわに生きてちゃ、街の圧に押しつぶされてしまいそうで、ビクビクしながら歩いた。

 

ライブに行くこと自体がもう3年ぶりくらいだから、本当に今日は楽しめるのかと不安を抱きながら、会場の「7th FLOOR」に向かう。

 

まずドアを開けて驚いた。

 

 

椅子がある。

 

 

もう今日は跳ぶ気満々だったから、人を持ち上げたり押し合ったり、汗と爆音で揉みくちゃになるだろうと覚悟していたから、動きやすい服&小さなカバン&タオルで来たのに、なんじゃこのオサレな会場は。ララランドか。

 

ドリンクを手にし、柔らかな椅子に身を委ねた。渋谷の圧によって疲れていた心が、小さな“ハコ”の、穏やかな空間で溶けてゆくのを感じた。

 

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お目当のバンド「KOIBUCHI MASAHIRO」はトップバッターだった。

 

爆音。 ドラムが弾け、 ギターが鼓膜を揺らす。
ダウンロードして聴いてた曲に心が踊る。ボーカルの電子的とも取れる声は、リアルに存在する音だった。

 

録音とはまた違う、熱気と共に聴く音楽。日々疲れることは色々とあるけれど、こうやって人は生きていくのだなぁ、と思った。

 

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ここから先が一度も聴いたことの無い、知らないバンド。

「Ribet towns」「yule」

 

私は音楽や流行に対して、積極的に知ろうとする姿勢が弱い。お茶の間に何度も流れるようなメジャーソングかアニメの歌、友達が教えてくれた曲でない限りなかなか知らないから今回のようなバンドも知る機会が無かった。

 

聴いた後の今、それを反省している。

世界にはたくさんのアーティストがいて、世界中で聴かれてないにせよ、“良い音楽”がまだ眠ってるんだ。

 

偶然にも、全く知らなかったその2つのバンドは見事に私のツボだった。

 

民族音楽のような「Ribet towns」。メンバー数は10人を超え、賑やかな、可愛らしい世界観で音楽を作る。バンド、というより音楽グループ、というニュアンスがしっくりくる。普段は京都で活動しているらしいので生で聴くことができてとってもラッキー。元から民族っぽい音楽が好きで、Youtubeなんかで漁っては定期的に聴いていたので今回きちんと生で聴けて最高だった。聴き終わった後、すぐにCDを買った。

 

森のせせらぎのような「yule」。優しい男性ボーカルと清らかな女性ボーカル2人の雰囲気がとても良い。表現に“森”なんて比喩を使うほどに、名言し難い素敵な個性を持っていて、どうしてメンバー全員でこの形を目指すことができたんだろうと思った。(“方向性の違い”とか、好みの違いで一つにまとまるの難しそうだなぁって。)

Enyaが好きで、とめどなく音が流れ続ける感じや、澄んだ女性の声が心地よかった。日々のストレスが浄化されていくのを感じてちょっと泣いた。CDを買った。

 

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前に音楽を広めたい、という人に取材をした。

その人は、自分の音楽イベントやDJ活動を通して、音楽の輪をもっと広げていきたいと言っていた。

 

今回、人に誘われて私も新しい音楽に触れ合えたわけだが、それのなんと心地よいことか。好きな音楽に出会えるってこんなに嬉しいことなんだ、生で聴くってこんなに良いんだ、音楽って素敵だ。改めて気づかされた。

 

最初は、((知らないバンドに3,000円かぁ…ちょっと高い…))って思って私だったが、7th FLOOR を出た後の叫びはすっかり…

「3,000円じゃ安すぎる!!!!!!!」

 

まだ痺れる鼓膜と脳でボーッとしながら、渋谷の街を後にした。

 

 

音楽って良いな。

 

 

(2019/04/09)

 

〈フェルメール展〉工夫に富んだ企画側の努力感じる展示

ポスターのデザインが綺麗で、気になっていたフェルメール展に行ってきた。

白地にちょっと優しい太めのゴシック。美術館のポスターにしては清潔感漂う珍しいデザイン。目を引く。

 

場所は上野の森美術館

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気持ちのよい光

昼に行ったらなんともう19:00-20:00の回しか取れないみたい。大人気。

時間を潰し、夜に再び来訪。

 

今回の展示ですごかったのは、何よりも企画側だった。

フェルメールの絵画も素敵だったけれどこの記事では企画のすごさを述べたい。

 

 

1. 時間で区切られてるから混みすぎない

正直困るなぁと思った。けれど、新美なんか混み過ぎて超絶見にくかったりするし、せっかくお金払ってるんだから、ちゃんと整理してもらってストレス無く作品を観れる方がいいわ!

 

2. 音声ガイドが無料

普通500円くらい払って希望者だけもらうのだけれど、なんと無料。普段滅多に使わないけれどせっかくなので使ってみることにした。声、石原さとみだしね!これを機に音声ガイド使ってみようかなぁって人増えそう。

 

3. キャプションが一切無い

↑↑↑これが本当にすごい。すごい。一切無い代わりに、入場時に無料のキャプション集がもらえる。今まで作品周りに、「作品見たい人」VS「キャプション見たい人」の戦いが起きていたのがうーーーーんと悩みどころだったので、これはすごいぞ。キャプション見たい人はちょっと離れて手元の冊子を見て、作品見たい人だけが近付いて見るという仕組み。すっきりした流れでストレス無し!キャプションを持ち帰れるのも嬉しい。

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4. メイン画家とサブ画家が完全に分けられている

よく美術館行く人はわかると思うけど、通常「フェルメール展」とか「ダヴィンチ展」「レンブラント展」とか言うと大抵彼ら以外に、同時代の画家とか弟子とかの絵が一緒に並んでる。それがなんと無くかさ増し要員に思えてしまっていたのだれど、今回はそれが一切なく、完全セパレート。最後の部屋のみがフェルメールで、最初は普通にフェルメール以外の画家で盛り上がる。そっちも十分上手い。

そして満を持して主役の出番!!フェルメールしかいない贅沢空間。この部屋の構成がなんか上手いなぁ、ニクいなぁと言う感じ。しかもフェルメール部屋までの道がなんかキラキラしたアーチでね…?(行ってのお楽しみ)

カサ増し云々無しに、ポジティブにフェルメール以外の画家に向き合えてなんだかいい気持ち。

 

今回こういう、美術館鑑賞に新しい風を吹かしてくれて、今後他の展示会が真似しそうだと思った。より良い鑑賞スタイル目指して新しく考えて実行してくれたというのがとても良かった。

その分高校生・大学生2000円だから割高なんだけどね!でも色々もらえたから満足!

 

会期は2/3まで。関東のみんな!まだ行けるぞ!

(2019/1/19)

〈ルーベンス展〉“王の画家、画家の王” 圧倒される

この文章は上野の大戸屋で窓ガラス越しに大通りを眺めながら書いてる。

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最終週の上野の美術館は人混みに潰されそう。列がすごいので、セブンで前売りチケットを買ってから、昼間っから上野へ。一人ぼっちで。

ひとりぼっちの東京は楽しい。誰にも気遣うことなく、ただの群衆のモブとして歩く。誰も私に注意を向けないし、周りの建物だって街路樹だって、私の存在に意識を止めない。

 

ルーベンス展。@西洋美術館

キャッチコピーは、「王の画家にして、画家の王。」私はこの言葉にとても納得できた。なぜかというと、昨年夏、パリのルーブル美術館ルーベンスの作品を見てたから。それがこれ。

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圧倒的王者感、、、、

 

(上の2枚の写真はルーブル美術館に自分で撮りにいったものです)

 

ルーブル美術館の一室、全面ルーベンスの絵で埋め尽くされていた。今回の上野の展示はここまでの見せ方ではなかった。こう、ギリギリ問題ないくらいの「ああ、確かに王だ」って思えるくらい。勝手にひざまずいてひれ伏してしまうほどの大きさや量ではなかったかなと思う。

 

展示方法は素敵だった。紺色や赤色の壁紙にルーベンスの絵画、金色の額縁。展示会場の色使いが以前見た色々な展示と似ていたが、それが多分ルーベンスが王たる所以でもあって。

 

印象的だった説明が「ルーベンスは”普遍的”だ」と言うもの。何やら「ここでの意味は~」などと言い訳のようなおだてる言葉がその後に並んでいたが、大丈夫、ちゃんと良い意味で普遍的だということが分かる。

ルーベンスは「THE・西洋絵画」という意味で普遍的なのでは?描かれるものは、宗教画、神話画、肖像画といったルネサンス絵画の王道をゆく。実際彼は、レオナルド・ダヴィンチやティツィアーノの絵画をよく観察し、模写し、参考にしていたらしい。なるほど納得な作風である。

 

こういった盛期ルネサンスの絵画に影響されて描く画家は多いが、やはり比べてみるとルーベンスは質が高い。大きなキャンバスに怯まず堂々とした構図、人物の大きさで画面を構成する。筆致も緩すぎず、固すぎず。丁寧さと勢いを良い塩梅でコントロールして混ぜたのがこちらです、って感じ。髪の毛の部分は特に筆使いがかたくなくて上手いなぁと思う。

 

面白かった絵画は2つ3つほど。

  1. 1つは「おじさんたちが人妻に身体を許すよう脅したら断られたので、人妻が若い男と浮気してた話をでっち上げて死刑に追い込むも、直前で冤罪だとわかりおじさんたちが吊るされる話」の人妻を脅してるシーンという絵画。ルーベンス、、なんてものを描いとんねん、、、思ったのは、500年経っても人は進歩しねぇんだなということ。クソ男は昔からいるんだ、、。クソめ、、、、。ハピエンでよかったよほんとに。

  2. もう1つは「浮浪者で餓死しそうなおじいさんに美しい娘が母乳をあげて飢えを凌ぐ」絵。いやだからなんて設定の絵を、、、。しかもほんとに娘さんが美人で構図バッチリで絵がかっこいいのでニクい!もう!裏テーマは「慈愛」とのこと。よかったねおっさん。 

こういう話がちょいちょいあるから、宗教とか神話とか世界史に詳しくなりたくなるのよね。

 

残念ながらルーベンスの絵画で気に入ったものはルーブル美術館の時から更新されず。今回ルーベンスにハマった人がいたらぜひルーブル美術館のあの部屋に行って圧倒されて欲しい。

 

それにしても休日の上野は混んでいて。嫌だけれど、休日に美術館に来る人がこんなにいるんだって思うとちょっと嬉しくもなる。
(2019/1/19)

「易しい説明的デザイン」と「受け手を信じる尖ったデザイン」はどっちがいいの?を考える。

※これは3ヶ月前にメモ帳に残ってた叫び。主に雑誌デザインの話。

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「不親切なデザインは良くないよ、ちゃんと説明してあげないと。」

「説明しすぎない。読者を信用してデザインする。」

 

という二つの、一見反するような意見に以前から違和感を感じていた。

読者に優しい方がいいの!?説明しすぎちゃいけないの!?どっちだよ!!

 

そしてなんとなくフローリング掃除していたら何か閃いた。

これは反対意見ではない。場合によって変化するとかそう言うものでもない。きっとこれは共存しうるただの別意見だと。

 

配慮の段階がおそらく違う。「一を聞いて十を知る」を求める姿勢だと良くないと言っているのが親切デザイン。読者を舐めない、赤ちゃん言葉を喋るようなことをやめようと言うのが信用デザイン。多分。

読者の教養を信じてデザインすることと、読者を超能力者だと思い込んでデザインしないことは共存しうるはず。だ!

 

これはそう言うことなのかなと思った。

 

・「一を聞いて十を知る」は違うか?先を読める頭の良さってなるといいんだけど、なんて言うか、知らない言語をいきなり喋れって言うみたいな。一単語だけヒント出しても全部わかるわけないじゃんみたいな。それはダメでしょ。

読者はそのモノについて全然知らないんだから、あなたの親友に説明するのとは訳が違うから、妙に過信するとか、自分が分かってるからって説明しないとか、そう言うこと製作者だけでずっとやってると、、、、

これは話が違うか???んん、、(こんがらがってきた)

 

・雑誌で良くある丁寧なデザイン。説明過多。想像の余地なし。受け取るだけで読者は全く頭を回さない。

そう言うデザインに対抗して策を打ってきたのが、読者を信用して、説明不足に思えるほどのシンプルなデザインをしてくる人たち。この人たちにはある程度の教養がある質を求める読者がつく。

クラシックとかと同じ感じがする。もしくは受験して偏差値高いやつだけ集めるみたいな。雑誌業界的にはそう言う読者の選別というか。

いやそういうこと考えてるのは違うと思うけど、なんというか、良い雑誌を求めることは良い読者を求めることも同じことだから、今そう言う流れになってきてんのかなって。

偏差値低い読者は芸能人の不倫に騒いどけってか(((

 

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3ヶ月経った今、冷静にどうだろうかと考え直してみる。

読者を信じることは大事だし、自分がわかってるからって説明できてないのはあかんのはそうだと思う。

 

が、しかし、その前に。

 

まず言えるのは、デザインする際に最終目標が「親切なデザインにしよう」「シンプルなデザインにしよう」ではいけない、ということ。

目標はそれぞれにある。「値段高めなシャンプーの売り上げを伸ばすための駅内広告」「子供が英語に親しみを覚えるような絵本づくり」「仕事終わりの男性客が電車で読みたいカルチャー雑誌」etc...

結局、親切だろうがシンプルだろうがシャンプーが売れればいいし、子供が英語を話すようになればいい。

自分がどうしたいか、どういう手法でその目標は達成できると思うか。それがデザインの形を決める。デザイン本位であってはならないはず。

デザイナーはデザインが好きだから、ついデザインすること自体を目的に置いてしまう。社会にそのデザインが放り出された時、どんな形が望ましいのか、それが親切かシンプル化を左右する。

 

だからどっちが良いとか悪いとかは、きっと無い。

デザインする度に毎度向き合って考えなきゃいけない、ただの項目の一つ。

 

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ちなみに最近の私的にはシンプルデザインを深めたい感じ。だって説明すれば伝わることは当たり前だから。文字に頼りすぎない中で、いかにシンプルで強烈な誌面が作れるかは挑んでみたいこと。

 

それから親切=説明的でもないよなぁ。ちょっとしたノンブルとか、ちょっとした色付けとか、構成をわかりやすく組み替えるとかそういう親切さは是非とも追求していきたい。見えない優しさ。(優しさってか結局こっちが伝えたいこと伝わるようにするための工夫なんだけどね!!どこまで行っても作る側のエゴ

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読者がポケーっと読んで流れてくる情報をただ受け止めるだけ〜っていうSNS的な流れから逃れたい気持ちがあるので。親切デザインに溺れてないで、想像力働かせて是非とも自分の糧としてくれ読者たち〜!お互い頑張ろうな〜!

 

社会におけるデザインのあり方について、合わせて読むのにオススメの記事↓↓↓

アート・ディレクター大貫卓也、25年ぶりの作品集『Advertising is』でその仕事のすべてを語る。 | Feature | Pen Online

 

(2018/12/19)

〈フィリップス・コレクション展〉と穏やかな私の休日

Hello かーぎです。日記を書きます。

 

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日曜日、東京に出て穏やかな休日を過ごす。

 

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大好きな国際フォーラム側に位置する三菱一号館美術館。ここら辺は本当に景色がいい。整理された都会的なビル群と彩る木々、その中にアクセントのようにアート作品が佇まう。

 

美術館を訪れた目的は「フィリップス・コレクション展」。ポスターが印象的で「ピ□ソ」「ゴッ□」「モ□」(□にはそれぞれの絵が入る)と「フルネームで言わなくてもわかるでしょ」と言わんばかりの著名な画家しか扱っていない展示会。期待、期待。

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さすがの画家たち。やっぱりモネの画面構成センスは天才的だし、シスレーの景色は惹きつけられる。セザンヌの湿っぽい塗り方やゴッホの色使い、不思議なリアリティに会場の誰もがうっとりしたのではないだろうか。

 

新しく気になったのはピエール・ボナール。明るくて鮮やかで色作りがセンスの塊。あの影の色は真似して作れる色じゃないと思う。なんのご縁か、現在六本木の国立新美術館にて「ピエール・ボナール展」が開催中なので是非行ってみようと思う。彼の沼にダイブする。

 

あと強烈に惹かれたのはシャイム・スーティンの「雉」という作品。PC画面や印刷されたポストカードでは全く伝わらないのだが、めちゃくちゃ再度の高い鮮やかな赤と白とナイトブルーが混ざった中間の青がドツボにきた。動物の静物といえば「食に感謝」とか「生き物賛歌」って絵が多いが、この絵は生々しく悲痛な叫びを人間にダイレクトに響かせてくる。ちょっとこわい。でも美しい。

 

この展示、サイトもすばらしい。最近の美術展のサイトはどれもよく動くしクオリティが高くて見てて飽きない。

mimt.jp

 

とことこ銀座に向かって歩く。

BOOK CAFE。こういうとこ一回行ってみたかったんだよね。入店。

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本といえば片手で食べれるカレーやハヤシライス。ハイビスカスティーを注文し、さぁ何を読もうか。

 

「ぼくたちは習慣で、できている。」佐々木典士

 

最近のクソ生活を脱すべく手に取る。

フムフム、意識しちゃうからなにも手につかないんだな。意識せずできることを増やせばいいんだ!誘惑されちゃう人は意志が弱いんじゃなくて誘惑される回数が多いだけなんだ。意識を向けなければいいんだ!フムフム。

実は「日記を書け」というのもこの本の教え。さっそくやってる。

 

 

その次向かったのはこちら。

genxy-net.com

POLAのギャラリーで開催された写真家、レスリー・キーの愛の展示。

もう、すごい、LOVE。SUPER LOVE。

堂々とした迫力で様々なカップルを鮮明に撮りまくる。もう、すごい、愛っていいな。彼が撮ったからこんなにかっこいいんだろうな。最近LGBT+の方々と知り合うようになってきたのでとても心に響いた、良い展示。

愛ってなんだろとか、ごちゃごちゃ悩んだときはとりあえずPOLAに来てこの写真たち見るといいよ。愛の力が色々吹っ飛ばしてくれる気がする。

展示は12月24日まで。

 

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お次はここ、資生堂ギャラリー。実は二度目のご来場。

 

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天井高い空間が好きすぎるのと、無垢の木が好きすぎるのと、フリーペーパーに熱いのが相まってリピってしまった。本当に素敵なんだよ。

 

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作品がちらほら。

でも目的は展示作品じゃないんだ。

 

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このギャラリーの何がいいって空間、空気、あたたかみ、コミュニケーションの場、美味しいコーヒー、資生堂が発行するフリーペーパー「花椿」。これらを目当てに何度でも訪れたくなる。銀座に来た際には是非ちらっと立ち寄るべし。

 

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私は最近本ばっか作ってる編集人間だから、こういうの、制作者側からも楽しんじゃう。「写真綺麗だな」が「撮るの大変だったろうな」「スタイリストさんセンスいいな」「ロケ大変そう」とかになる。「この文字組はいいぞ」「レイアウトこうすればいいのか」「紙質いいな」「言葉使いがハイセンス」「こんな難しい内容よくまとめあげたな」「このタイポかわいい」「イラストがいい味出してる」なんて。楽しい楽しい。日々学び。

 

 

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すごいモニュメント。

最後!GINZA SIX内の蔦谷書店に来た!

 

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ド派手なオブジェ横目にエスカレーターをずんずんのぼるとそこはおしゃれ空間…。こんなおしゃれな本屋…好きになるにきまってるだろ…!!!

 

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本屋中央では毎度企画展をやっていて、今回はPOLA。あれ、さっき行ったなPOLA。ご縁、ご縁。

 

あれよあれよと美しいおねえさんに化粧品サンプルを渡され、音の出るなにかを渡され、手に最高級の潤うなにかを塗られ、化粧品でお絵かきできる絵馬のコーナーに導かれる。怒涛~!さすが大企業はちがうぜ!(なにが)

 

だけどね、わたしが一番気になったのは、御社のフリーペーパーですよ!!!!

www.pola.co.jp

「WE/」というPOLA発行のフリーペーパー。美な写真と切り口で新しい文化を発信する。バックナンバーが9冊1,500円で売ってたので買っちゃいました。おうち帰ってゆっくり読みます。

 

さすがに歩き疲れた。実はこれ以外にもギャラリーアタック(どこもかしこも日曜休館で失敗に終わる)やギャラリーアパート探索など色々してた一日。濃い、アートと美と愛とフリーペーパー(あとPOLA)の日。

 

帰り道高速バスに乗りながらなぜか恋バナをして帰る。客観性を身につけたいと思った。

 

 

なんで私毎回文章長くなっちゃうんだろ。

もっとさくさく毎日でも書いていきたいかーぎでした。おやすみ。

DJも“編集者”?

(最近雑誌編集ばっかやってるデザイナーの思いつき)

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DJは他人の音楽で金をとる。プロって言える。人が湧く。

それってすごいことじゃない?

 

思えば編集も同じことかもしれない

っていうかDJが編集だ

素材があってそれをどう見せるか。

自分の意図が伝わるようにどう調理するか。

取材して 音楽集めて

うまくつないで

観客の気持ちを操る

 

やってること同じじゃん

 

そんなことできるの音楽だけだと思ったけども

もしかしたらまだあるかも

 

例えばバーテンダー

本当にいいものを仕入れて

時期に合わせて

飲む人の気分を汲み取って

組み合わせて

提案して

相手の気分を変えてしまう

よくしてしまう

 

これも編集

 

バーテンダーはカクテルの編集人

DJは音楽の編集人

 

じゃあ編集者は?

 

情報の編集人だ

 

規模がでかいからDJと並列な気がしなかったけど

編集者は編集人であるDJやバーテンダーをも

編集してしまえるから大きな存在に見えてたけど

やってることは皆同じ

 

みんな編集だったんだ

編集って深いな

 

(2018/10/02)

【感想】『トーマの心臓』萩尾望都の描く無垢な愛が沁みる…。

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純粋すぎるが故にひどく心に突き刺さる。人が生きるために必要なものは…愛です。愛なしに生きれないのです。すでに読んだことある人&ちょっと気になってる人向けレポ。

 

こんにちは、最近何かと衝動で動くかーぎです。この漫画も衝動で立ち寄った本屋でふと目に入って衝動で購入しました。

 

萩尾望都というとそれはもう、ものすごく有名な1900年代後半を代表する少女漫画家です。「11人いる!」を以前読んだことがあるのですが、最も脚光を浴びた「ポーの一族」もいつか読みたいところ…。

中世的で美しい作画、吸い込まれそうになる瞳とやんちゃな表情変化のギャップが魅力的な漫画家さんです。

 

本編の感想いきましょう。以下ネタバレあります。たぶん。

 

舞台はドイツの男子校。マジメでお手本学生のようなユーリと相棒のオスカー。ユーリに恋心を抱きながら突如謎の死を遂げたトーマとトーマの顔と瓜二つな転校生のエーリス。恋の相関図を描くとあちこちに矢印が行き交うかな〜り泥沼な学園。

優等生演じるユーリ、素直で言いたいことははっきり言うエーリスの2人を中心に物語は展開します。それぞれ辛い過去を背負い、それでも自分の思う理想の生き方を目指すが本当の心は…?

ある事件で心を閉ざしていたユーリは果たして再び愛を思い出すのか。深くユーリを愛していたのに、トーマは何を思って死んでいったのか──。

 

読み応えたっぷり、一冊通してやっと、この物語の思いが胸にずーーーんと存在感を持ち始めます。正直かなり重め暗めです。このシリアスさが余計にテーマに重みを持たせてくれるのでしょうね。

 

萩尾望都は友情とか愛情、恋心、親子愛、その中での葛藤といった人間の感情をドラマティックに描く少女漫画家。THE・少女漫画家〜って思っちゃうような題材ですが、読んでみるとあら、全然様子が違う。よくある少女漫画と違うこの雰囲気の原因は、そこに男女のしがらみがないことでしょうか。

恋する相手の性別は気にしない…というか作中で触れられる・問題視されることがない、なので純粋な恋心に没頭することができるんです。

 

私自身結構性差に囚われた考えがあって、彼女だから大人しくしてしなきゃ(本当はいつもうるさいけれど)、彼女だからおしゃれしなきゃ(本当はいつもあまり気にしないけれど)、、、なんて思ってました。それってすごくしんどいし無意味だし自分のためじゃないです。今は反省してます。

最近の世間の動きがどんどん「男女平等」「性からの解放」「個の尊重」に向かっていますから、私も考えを改めて自分らしく生きれるよう日々学んでいるところです。

 

萩尾望都のこの作品はもう50年ほど前に描かれたものになりますが、今の私たちこそ染み入るものがあるのかもしれません。

 

そうは言っても可愛い子がちやほやされるとか、お金持ちか秀才が優位に立つとかありますよ。確かに現代と同じようなことが起きるのですが、よく考えればそれ男女の性差関係ないですね。性差関係なく成り立つ感情ですよね。

 

それに主人公たちが持つ恋心はそんな表面上の魅力に当てられたものではありません。時間をかけて培った信頼や見る目の変化、互いの心を支え合い、辛いことを乗り越えた中などで生まれる恋なので、読者の私も一緒に恋してるような気分になっちゃいます。

それこそ酷い第一印象だったとしても、一度は殺意を持つほど恨んでも、結末はわからないのです。若き学生の青春真っ只中ですから。

 

それほどに萩尾望都は「トーマの心臓」で愛を描きたかったんですね。

ぼくが背を向けても、打ち消しても

やはりそれがなければ

人は生きていけないと

ぼくもそれを求めていると

 

人は生まれたばかりは無力で、愛だけを武器に生きる、成長してから愛の存在感は少し減ってしまう。でもあなたは1人では生きられないし、生きてるあなたは1人じゃない。

はっきりとした愛という形でなくとも、人間の関係性の中で生きてる限りそれは愛の糸であり、繋がれた互いどうし輝かせあって人生の道を歩いている。

何か辛いことがあって絶望し遮断しようとする人の元へはきっと、、、、トーマが来てくれるはず。

 

(2018/8/27)